ダークツーリズムとは?意味や目的 国内外の代表的な事例7選を紹介

ダークツーリズムとは?、意味や目的、国内外の代表的な事例を紹介

ダークツーリズムとは

ダークツーリズムとは

近年、旅行のスタイルが多様化する中で、「ダークツーリズム」という言葉を耳にする機会が増えてきました。これは、単なる観光やレジャーとは一線を画す、深い学びと省察を伴う旅の形態です。しかし、その言葉の響きから「暗い場所を巡る不謹慎な旅」といった誤解を招くことも少なくありません。この章では、ダークツーリズムの正確な意味と定義、そしてなぜ今、これほどまでに注目を集めているのか、その背景を詳しく解説します。

意味と定義

ダークツーリズム(Dark Tourism)とは、戦争や災害、虐殺、人権侵害といった、人類の歴史における「死」や「悲劇」が起きた場所を訪れる旅行のことを指します。日本語では「闇の観光」や「悲しみの観光」と訳されることもありますが、その本質は単なる物見遊山ではなく、過去の出来事を学び、犠牲者を追悼し、未来への教訓を得ることを目的としています。

この概念は、1996年にスコットランドのグラスゴー・カレドニアン大学の教授であったジョン・レノンとマルコム・フォーリーが共著『Dark Tourism: The Attraction of Death and Disaster』で提唱したことで、学術的な研究対象として広く知られるようになりました。彼らは、人々がなぜ悲劇の場所に惹きつけられるのかを分析し、それを教育や平和構築に繋げる可能性を探りました。

ダークツーリズムの対象となる場所は多岐にわたります。例えば、ポーランドのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所のようなジェノサイド(大量虐殺)の現場、広島の原爆ドームのような戦争遺跡、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所のような大規模事故の跡地、そして東日本大震災の被災地のような自然災害の爪痕が残る場所などが含まれます。

通常の観光との最大の違いは、その「目的」にあります。一般的な観光が楽しみや癒やし、美しい風景や文化体験を主目的とするのに対し、ダークツーリズムは過去の悲劇と向き合い、そこから何かを学び取ろうとする知的な探求心や倫理的な動機に基づいています。訪問者は、現地に残された遺構や資料、語り部の証言などを通じて、その場所で何が起こったのかを五感で感じ取ります。それは時に、胸が締め付けられるような辛い体験になるかもしれません。しかし、その痛みを通じて、平和の尊さや命の重み、防災の重要性などを、書物や映像から得る知識とは比較にならないほど深く、そして自分自身の問題として理解することができるのです。

しばしば「不謹慎ではないか」という批判もなされますが、ダークツーリズムは悲劇をエンターテイメントとして消費する行為ではありません。むしろ、悲劇を風化させず、その記憶を次世代に正しく継承していくための重要な手段と位置づけられています。現地を訪れ、その場の空気に触れることで、人々は歴史的事実を単なる「過去の出来事」としてではなく、生々しい現実として受け止め、未来に同じ過ちを繰り返さないための決意を新たにします。

このように、ダークツーリズムは、楽しみや気晴らしを求める旅とは対極にある、重厚で思索的な旅の形態です。それは、私たちに人類の負の側面を直視させると同時に、そこから立ち上がろうとする人間の強さや尊厳をも教えてくれる、非常に教育的価値の高い活動であると言えるでしょう。

ダークツーリズムが注目される背景

なぜ今、ダークツーリズムは世界的に関心を集め、多くの人々を惹きつけているのでしょうか。その背景には、社会の変化、旅行者の価値観の変容、そして地域側の取り組みなど、複数の要因が複雑に絡み合っています。

第一に、歴史の記憶の風化に対する危機感が挙げられます。第二次世界大戦やホロコースト、あるいは国内の大きな災害などを直接体験した世代が高齢化し、その記憶を直接聞く機会は年々減少しています。文字や映像記録は残されても、体験者の生の声が持つ重みやリアリティは失われつつあります。こうした状況の中で、「悲劇を風化させてはならない」という社会的な要請が高まっています。ダークツーリズムは、歴史の証人である場所を訪れることで、体験者がいなくなった後も、その記憶を物理的な空間を通じて次世代に継承していくための有効な手段として期待されています。

第二に、旅行者の価値観の変化があります。現代の旅行者は、単に有名な観光スポットを巡る「モノ消費」から、その場所でしかできない特別な体験を求める「コト消費」へとシフトしています。特に、自己成長や深い学びに繋がるような、より意味のある体験を求める傾向が強まっています。ダークツーリズムは、スリルや珍しさといった表面的な興味だけでなく、歴史や社会問題について深く考え、自身の価値観を見つめ直す機会を提供します。この知的好奇心を満たし、内省を促す旅のスタイルが、現代人のニーズに合致しているのです。また、SNSの普及により、他者とは違うユニークで思慮深い体験を共有したいという動機も、この傾向を後押ししていると考えられます。

第三に、地域振興の新たな視点としての活用です。かつては地域の「負の遺産」として隠されたり、語られることが避けられたりしてきた悲劇の歴史が、近年では地域のアイデンティティを形成する重要な要素として再評価され始めています。被災地がその復興の歩みや防災の教訓を発信したり、戦争遺跡が平和のメッセージを伝えたりすることで、新たな観光資源として活用する動きが活発化しています。これにより、訪問者はその土地の歴史や文化をより深く理解し、地域との間に強い結びつきを感じることができます。これは、地域の経済的な活性化だけでなく、シビックプライド(住民の地域への誇りや愛着)の醸成にも繋がります。

第四に、教育的な価値への再認識です。学校教育における平和学習や防災教育の一環として、ダークツーリズムの対象地が修学旅行や校外学習の場として選ばれるケースが増えています。教科書で学ぶだけでなく、実際に現地を訪れて五感で感じる体験は、子どもたちの心に強く残り、学習効果を飛躍的に高めます。これは子どもたちに限った話ではなく、企業研修や生涯学習のプログラムとして、組織の倫理観やリスク管理能力を高める目的で導入される例も見られます。

これらの背景が相互に作用し合うことで、ダークツーリズムは単なるニッチな旅行形態から、現代社会において重要な意味を持つ教育的・社会的な活動として、その存在感を増しているのです。

ダークツーリズムの3つの目的

歴史から教訓を得る、悲劇を風化させない、故人を追悼し平和について考える

ダークツーリズムは、訪問者に重い問いを投げかける旅です。しかし、その根底には、未来をより良くするための明確で建設的な目的が存在します。ここでは、ダークツーリズムが掲げる主要な3つの目的「歴史から教訓を得る」「悲劇を風化させない」「故人を追悼し平和について考える」について、それぞれを深く掘り下げていきます。

① 歴史から教訓を得る

ダークツーリズムの最も根源的な目的は、過去の過ちから学び、未来に活かすための教訓を得ることです。歴史は繰り返すと言われますが、それは私たちが過去の出来事から十分に学んでいないからかもしれません。ダークツーリズムは、悲劇が起きた現場という「一次情報」に触れることで、歴史を自分自身の問題として捉え直し、同じ過ちを繰り返さないための知恵を授けてくれます。

例えば、ナチス・ドイツによるホロコーストの現場を訪れることは、単に「多くのユダヤ人が殺された」という事実を知るだけにとどまりません。整然と並ぶ収容棟、効率的に設計されたガス室、積み上げられた犠牲者の遺品などを目の当たりにすることで、訪問者は「なぜ、このような非人道的な行為が組織的に、そして国民の暗黙の了解のもとで行われたのか」という根源的な問いに直面します。そこから、特定の民族や集団に対する差別や偏見が、いかに容易に熱狂と狂気に転化し、破滅的な結末を招くかという恐ろしいメカニズムを肌で感じ取ることができます。これは、現代社会に蔓延するヘイトスピーチや排外主義といった問題と無関係ではありません。過去の極端な事例から学ぶことで、私たちは現代における差別の兆候に敏感になり、それに抗うための倫理的な羅針盤を心の中に持つことができるのです。

同様に、災害伝承施設を訪れることは、防災や減災への意識を根本から変える力を持っています。津波が到達した高さを示すポール、原型を留めないほど破壊された建物、そして家族を失った被災者の生々しい証言。これらは、「想定外」という言葉で片付けられてきた自然の脅威の凄まจつさと、備えの重要性を痛感させます。私たちは、ハザードマップの確認や避難経路の確保、備蓄品の準備といった具体的な行動が、いかに自分や家族の命を守ることに直結するかを深く理解するでしょう。ダークツーリズムは、抽象的な防災知識を、具体的な行動へと転換させる強力な動機付けとなります。

このように、歴史から教訓を得るとは、単に知識を詰め込むことではありません。悲劇の現場に身を置き、その背景にある社会構造や人間の心理、そして結果として生じた計り知れない苦しみに思いを馳せることで、未来のリスクを予見し、より良い選択をするための判断力を養う、極めて実践的な学びのプロセスなのです。

② 悲劇を風化させない

時間の経過は、時に残酷なほど記憶を薄れさせます。どれほど衝撃的な出来事であっても、世代が代わり、直接の体験者がいなくなれば、その記憶は徐々に風化し、やがては歴史書の中の単なる一文になりかねません。ダークツーリズムが担う重要な目的の一つが、この記憶の風化に抗い、悲劇の事実と教訓を次世代へと確かに継承していくことです。

悲劇が起きた場所、すなわち「負の遺産」は、その記憶を保存し、未来に語り継ぐための強力なメディアです。例えば、沖縄戦で多くの女学生が命を落とした「ひめゆりの塔」や、併設されたひめゆり平和祈念資料館。そこには、彼女たちが生きていた証である写真や遺品、そして凄惨な戦場の様子を記録した資料が展示されています。訪問者は、ガイドや生存者の証言映像を通じて、自分たちと変わらない、夢や希望を持った若者たちが、戦争という理不尽な暴力によってどのように未来を奪われたかを知ります。文字情報だけでは伝わらない、一人ひとりの命の重みと喪失の痛みが、その場所の空気を通じて直接心に響いてくるのです。

このような体験は、歴史を「他人事」から「自分事」へと変える力を持っています。訪問者は、単なる傍観者ではなく、その記憶を受け継ぎ、語り継いでいく「継承者」としての一端を担うことになります。友人や家族にその体験を語ること、SNSで感想を発信すること。それら一つひとつの行為が、悲劇の風化を防ぐ小さな、しかし確実な一歩となります。

また、ダークツーリズムは、忘れ去られがちな歴史の側面に光を当てる役割も果たします。例えば、日本の近代化を支えた「軍艦島(端島)」。その華やかな繁栄の裏で、戦時中には多くの朝鮮人や中国人が過酷な労働を強いられたという負の歴史も存在します。こうした光と影の両面を知ることで、私たちは歴史を多角的・複眼的に捉える視点を養うことができます。

「忘れない」という行為は、単に過去を懐かしむことではありません。それは、犠牲者の無念に応え、彼らの死を無駄にしないという、未来に対する責任の表明です。ダークツーリズムは、人々がその責任を自覚し、共有するためのプラットフォームとして機能します。悲劇の現場を保存し、訪れる人々を迎え入れ続けること。それ自体が、風化に抗う力強いメッセージとなるのです。

③ 故人を追悼し平和について考える

ダークツーリズムの対象地は、数多くの命が失われた場所です。したがって、その旅は必然的に、亡くなった人々への追悼と鎮魂という側面を持ちます。慰霊碑やモニュメントの前で静かに手を合わせ、祈りを捧げる行為は、ダークツーリズムにおける極めて重要な要素です。

アメリカ同時多発テロの跡地に作られた「9.11メモリアル」には、犠牲者全員の名前が刻まれた巨大な慰霊碑があります。そこを訪れる人々は、名前の一つひとつに、失われた人生、残された家族の悲しみがあったことに思いを馳せます。これは、テロという巨大な悪を糾弾するだけでなく、犠牲となった一人ひとりの尊厳に敬意を払い、その無念を心に刻むための行為です。このような追悼の場に身を置くことで、私たちは抽象的な数字として語られがちな犠牲者の死を、個々の人間が持つかけがえのない物語として受け止めることができます。

そして、追悼の念は、より深く、普遍的な問いへと繋がっていきます。それは「平和とは何か」という問いです。広島の原爆ドームや平和記念資料館を訪れると、一瞬にして日常が破壊され、多くの人々が言語を絶する苦しみの中で亡くなっていった現実を突きつけられます。そこで私たちは、今享受している当たり前の日常―家族と食卓を囲み、友人と笑い合う時間―が、いかに奇跡的で尊いものであるかを痛感させられます。

平和とは、単に戦争がない状態を指すのではありません。それは、すべての人が恐怖や欠乏から解放され、人間としての尊厳が守られる社会のことです。ダークツーリズムは、平和が奪われた場所の静寂と悲しみを通じて、この平和の価値を逆説的に、そして強烈に教えてくれます。

この体験は、訪問者自身の生き方や価値観を見つめ直すきっかけにもなります。自分は社会のために何ができるのか。どうすればより公正で平和な世界に貢献できるのか。ダークツーリズムは、そうした内省を促す「哲学の旅」でもあるのです。故人を悼む静かな祈りの中から、未来への希望と行動への意志が生まれる。これこそが、ダークツーリズムが持つ最も崇高な目的の一つと言えるでしょう。

ダークツーリズムの種類

ダークツーリズムが扱うテーマは、人類の負の歴史そのものであり、その対象地は世界中に点在しています。それらは、悲劇の性質によって大きく3つのカテゴリーに分類できます。「戦争や紛争の跡地」「災害や事故の跡地」「人権侵害の歴史を伝える場所」です。ここでは、それぞれの種類の特徴と、そこで得られる学びについて解説します。

種類 主なテーマ 学べることの例 代表的な場所の例
戦争や紛争の跡地 戦争の悲惨さ、イデオロギーの対立、平和の尊さ 国家による暴力の構造、一般市民の犠牲、核兵器の非人道性、紛争解決の難しさ 原爆ドーム(日本)、アウシュヴィッツ強制収容所(ポーランド)、沖縄戦跡(日本)、朝鮮半島非武装地帯(DMZ)
災害や事故の跡地 自然災害の脅威、人災の教訓、復興への道のり 防災・減災の重要性、科学技術の功罪、情報公開のあり方、コミュニティの再生、風評被害 東日本大震災・原子力災害伝承館(日本)、チェルノブイリ(ウクライナ)、阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター(日本)
人権侵害の歴史を伝える場所 差別、偏見、社会的不正義、人間の尊厳 構造的差別の問題、多様性の受容、人権思想の発展、社会正義の実現に向けた闘いの歴史 ロベン島(南アフリカ)、国立ハンセン病資料館(日本)、9.11メモリアル&ミュージアム(アメリカ)

戦争や紛争の跡地

このカテゴリーには、国家間の戦争や内戦、民族紛争など、組織的な暴力によって多くの命が奪われた場所が含まれます。これらの場所は、イデオロギーや国益の対立がもたらす悲劇的な結末を、最も直接的な形で今に伝えています。

代表的な例である広島の「原爆ドーム」や長崎の「平和公園」は、核兵器という無差別大量破壊兵器の恐ろしさと非人道性を象徴する場所です。被爆した建物の残骸や、熱線で人の影が焼き付いた石段などを目の当たりにすると、核兵器廃絶と恒久平和への願いが、単なる理想論ではなく、人類が生き残るための必須条件であることが理解できます。

ヨーロッパでは、ポーランドの「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」がこのカテゴリーの象徴的存在です。ここでは、ナチス・ドイツによる計画的かつ工業的な大量虐殺(ホロコースト)が行われました。線路、ガス室、焼却炉といった遺構は、特定の民族を絶滅させようとした国家の狂気を物語っており、人種差別や偏見がもたらす究極の悲劇として、訪れる者に強烈な警告を発します。

また、沖縄の南部戦跡群は、日本で唯一、住民を巻き込んだ地上戦が行われた場所の記憶を留めています。多くの住民が犠牲になった洞窟(ガマ)や、散華した学徒隊の慰霊碑を巡ることで、戦争が軍人だけでなく、一般市民、特に子どもや女性にどれほど過酷な犠牲を強いるかを学ぶことができます。これは、現代も続く世界の紛争地域で起きている悲劇を考える上でも重要な視点を提供します。

これらの場所を訪れることは、平和がいかに脆く、たやすく失われるものであるかを認識し、それを守るために市民一人ひとりが何をすべきかを考えるきっかけとなります。

災害や事故の跡地

このカテゴリーは、地震や津波、噴火といった自然災害、あるいは原子力発電所の事故や公害といった人災によって、人々の生活が破壊された場所を対象とします。これらの場所は、自然の力の脅威と、科学技術がもたらすリスクについて、私たちに重要な教訓を与えてくれます。

日本の「東日本大震災・原子力災害伝承館」(福島県)は、地震、津波、そして原発事故という複合災害の記憶を伝える施設です。津波で破壊された消防車や、原発事故後の混乱を示す資料は、自然災害への備えと、原子力という巨大なエネルギーを扱うことの責任の重さを物語っています。訪問者は、防災・減災の知識だけでなく、被災者の体験談を通じて、コミュニティの絆や復興への長い道のり、風評被害といった社会的な課題についても学ぶことができます。

世界的に有名なのは、ウクライナの「チェルノブイリ原子力発電所」です。1986年の事故後、ゴーストタウンと化したプリピャチ市や、石棺で覆われた4号機周辺は、管理されたツアーでのみ訪問が可能です(※情勢により変動)。放射能汚染によって人の営みが途絶えた風景は、科学技術の過信がもたらす破滅的な結果を静かに、しかし雄弁に語りかけています。

また、熊本県にある「水俣病資料館」は、企業が引き起こした公害によって多くの人々が健康を害され、地域社会が分断された歴史を伝えています。これは、経済発展を優先するあまり、人々の健康や環境への配慮が疎かにされた場合に何が起こるかを示す戒めの例です。

これらの場所は、私たちが自然とどう共存し、科学技術とどう向き合っていくべきか、そして企業の社会的責任や行政の情報公開の重要性など、現代社会が抱える多くの課題について深く考えさせてくれます。

人権侵害の歴史を伝える場所

このカテゴリーには、人種、信条、病気などを理由に、特定の人々が不当な差別や迫害を受けた歴史を伝える場所が含まれます。これらの場所は、人間の尊厳とは何か、そして公正で包摂的な社会を築くことの重要性を教えてくれます。

南アフリカのケープタウン沖に浮かぶ「ロベン島」は、アパルトヘイト(人種隔離政策)時代に、ネルソン・マンデラをはじめとする多くの反アパルトヘイト活動家が収容されていた政治犯収容所です。元収容者がガイドとなり、当時の過酷な状況を語るツアーは、制度化された差別がいかに非人道的であるか、そしてそれに屈せず自由と平等のために闘った人々の不屈の精神を伝えます。

アメリカの「9.11メモリアル&ミュージアム」も、テロリズムという極端な形の人権侵害を記憶する場所と捉えることができます。テロによって無差別に命を奪われた人々の追悼を通じて、思想や信条の違いを理由に他者の命を奪う行為の不当性と、多様な文化や価値観が共存する社会の重要性を再認識させられます。

日本国内では、東京都東村山市にある「国立ハンセン病資料館」が重要な施設です。ここでは、かつてハンセン病患者が国の強制隔離政策によって社会から隔絶され、深刻な人権侵害を受けてきた歴史を学ぶことができます。病気に対する誤った知識や偏見が、いかに残酷な社会的差別を生み出すかを示す貴重な証言の場です。

これらの場所を訪れることは、私たち自身の内なる偏見に気づき、マイノリティへの共感を育むことに繋がります。そして、すべての人が尊厳を持って生きられる社会を実現するために、自分には何ができるのかを問い直す機会を与えてくれるのです。

ダークツーリズムが抱える課題

遺族や被害者への倫理的な配慮、観光地化による商業主義的な問題、訪問者の安全確保

ダークツーリズムは教育的価値が高く、社会的に有意義な活動である一方、その性質上、多くの倫理的・実践的な課題を抱えています。悲劇の記憶を扱うこの旅の形態が、本来の目的から逸脱し、新たな問題を生み出さないためには、これらの課題に真摯に向き合う必要があります。

遺族や被害者への倫理的な配慮

ダークツーリズムが直面する最も重要かつ繊細な課題は、遺族や被害者、そして今もその土地で暮らす人々への倫理的な配慮です。彼らにとって、悲劇の現場は観光地などではなく、家族や友人を失った慰霊の場であり、今なお続く悲しみやトラウマと向き合う神聖な空間です。そこに大勢の観光客が押し寄せること自体が、彼らの心を傷つけ、平穏を乱す可能性があります。

特に問題となるのが、一部の訪問者による不謹慎な行動です。例えば、慰霊碑の前で笑顔で記念撮影をする、被災した家屋を興味本位で覗き込む、大声で騒ぐといった行為は、故人や遺族への冒涜にほかなりません。SNSに投稿するためだけに、悲劇的な背景を理解せず、見た目のインパクトが強い写真を撮ろうとする「インスタ映え」のような行動は、最も憂慮すべき問題の一つです。このような行為は、悲劇の記憶を軽薄なエンターテイメントとして消費するものであり、ダークツーリズムの本来の目的とは全く相容れません。

また、「誰のためのツーリズムなのか」という根本的な問いも常に念頭に置くべきです。訪問者の学びや満足度を追求するあまり、遺族や地域住民の感情が置き去りにされては本末転倒です。観光がもたらす経済的な利益が、必ずしも地域住民の心の慰めになるとは限りません。むしろ、静かに故人を偲びたいという願いを妨げる迷惑行為と受け取られることさえあります。

この課題に対処するためには、複数のアプローチが必要です。まず、訪問者に対する徹底した事前教育と啓発活動が不可欠です。旅行会社や現地の受け入れ団体は、訪問前にその場所の歴史的背景や、守るべきマナー、倫理的な注意点などを明確に伝える責任があります。また、現地では、写真撮影の禁止区域を設けたり、静粛を保つよう求める看板を設置したりするなど、具体的なルールを明示することが重要です。

さらに、観光による収益の一部を、遺産の保存活動や遺族・被災者支援、地域のコミュニティ再生などに還元する仕組みを構築することも有効です。これにより、ツーリズムが単なる外部からの搾取ではなく、地域の持続可能性に貢献する活動であることを示し、住民の理解を得やすくなります。究極的には、訪問者一人ひとりが「自分はゲスト(客人)である」という意識を持ち、最大限の敬意と謙虚さを持ってその場所に臨む姿勢が求められます。

観光地化による商業主義的な問題

ダークツーリズムの対象地が有名になり、多くの観光客が訪れるようになると、過度な商業主義に陥るリスクが生じます。地域経済の活性化は重要な側面ですが、それが本来の目的である「追悼」「継承」「教育」という本質を損なうほど行き過ぎてはなりません。

商業主義の問題は、様々な形で現れます。例えば、悲劇の現場のすぐそばに、雰囲気にそぐわない派手な土産物店や飲食店が乱立することがあります。そこで販売される商品が、悲劇のシンボルを安易にキャラクター化したり、おもしろおかしくデザインされたりしている場合、それは歴史の矮小化であり、故人への侮辱に繋がります。悲劇的な出来事をモチーフにしたキーホルダーやTシャツなどが、その典型例です。

また、「オーセンティシティ(本物らしさ)の喪失」も深刻な問題です。より多くの観光客を呼び込み、分かりやすく伝えようとするあまり、遺構が過剰に修復・整備されたり、展示にドラマチックな演出が加えられたりすることがあります。その結果、その場所が本来持っていた生々しさや、時間の経過が刻んだ歴史の重みが失われ、テーマパークのような人工的な空間に変質してしまう恐れがあります。訪問者は、ありのままの歴史に触れるのではなく、加工され、パッケージ化された「商品としての歴史」を消費するだけになってしまいます。

この課題を克服するためには、尊厳の維持と経済的な持続可能性のバランスを慎重に図る必要があります。開発や観光プログラムの策定にあたっては、行政や観光業者だけでなく、歴史の専門家、遺族、地域住民など、多様なステークホルダーが参加し、その場所が持つ本来の意味や価値を損なわないよう、徹底的に議論を重ねることが不可欠です。

例えば、商業施設を設ける場合でも、敷地の中心部から離れた場所に配置する、建物のデザインや色調を周囲の景観と調和させる、販売する商品は地域の文化や歴史に根ざした質の高いものに限定するといった配慮が求められます。目先の利益を追うのではなく、100年後もその場所が持つべき価値を守り育てるという長期的な視点が、持続可能なダークツーリズムを実現する鍵となります。

訪問者の安全確保

ダークツーリズムの対象地は、その性質上、物理的・精神的な危険性を伴う場所であることが少なくありません。したがって、訪問者の安全を確保することは、ツーリズムを運営する上での大前提となります。

物理的な安全確保の面では、特に災害跡地や紛争跡地で注意が必要です。東日本大震災の被災地の一部では、いまだに地盤が不安定な場所や、倒壊の危険がある建物が残っています。チェルノブイリの立ち入り禁止区域では、放射線量が高いホットスポットが存在します。軍艦島では、建物の老朽化が進み、立ち入りが制限されるエリアがあります。こうした場所では、専門のガイドが同行し、安全なルートを案内すること、そして立ち入り禁止区域のルールを厳守させることが絶対条件です。個人で安易に危険な場所に立ち入ることは、重大な事故に繋がりかねません。運営側は、潜在的なリスクについて明確な情報を提供し、ヘルメットの着用を義務付けるなどの安全対策を徹底する必要があります。

もう一つ見過ごせないのが、訪問者の精神的な安全(メンタルヘルス)への配慮です。ダークツーリズムの現場で目にする光景や、耳にする証言は、非常にショッキングで、心を深く揺さぶるものです。特に、ホロコーストの展示や、凄惨な事件・事故の遺品などは、見る者に強い精神的ストレスを与え、人によってはトラウマ(心的外傷)を引き起こす可能性もあります。

このため、施設側は、事前に展示内容の衝撃度について警告(トリガーウォーニング)を表示することが望ましいです。例えば、「この先の展示には、遺体や暴力的な表現を含む映像・写真が含まれます」といった注意書きを入口に掲示することで、訪問者は心の準備をしたり、その展示を避けるという選択をしたりできます。また、館内に休憩できる静かなスペースを設けたり、見学後に気持ちを整理するための場所やプログラムを用意したりすることも有効です。訪問者自身も、自分の感情の状態に注意を払い、辛いと感じたら無理をせず、その場を離れる勇気を持つことが大切です。安全なダークツーリズムとは、物理的な怪我だけでなく、心の傷からも訪問者を守る配慮があって初めて成り立つものなのです。

ダークツーリズムとSDGsの関係性

ダークツーリズムとSDGsの関係性

ダークツーリズムは、単なる個人的な学びや追悼の旅にとどまらず、国連が掲げる「持続可能な開発目標(SDGs)」の達成にも貢献する可能性を秘めた社会的な活動です。歴史の負の遺産から教訓を学び、未来を志向するその営みは、SDGsが目指す「誰一人取り残さない」平和で公正な社会の実現と深く共鳴します。ここでは、ダークツーリズムが特に貢献できるいくつかのSDGsの目標について解説します。

最も密接に関連するのが、目標16「平和と公正をすべての人に」です。この目標は、あらゆる形態の暴力をなくし、紛争を解決し、すべての人が法の下の平等なアクセスを享受できる、平和で包摂的な社会を促進することを目指しています。ダークツーリズムは、まさにこの目標を達成するための強力な教育ツールとなり得ます。
戦争や紛争の跡地、ジェノサイドの現場を訪れることは、暴力がもたらす破壊的な結末を目の当たりにし、平和の尊さを肌で感じさせます。広島やアウシュヴィッツを訪れた人々が、核兵器廃絶や反戦の思いを新たにするように、ダークツーリズムは平和を希求する世論を形成し、紛争の予防と解決に向けた市民の意識を高める上で大きな役割を果たします。また、アパルトヘイトや公民権運動の歴史を学ぶことは、法の下の不平等や構造的な差別と闘い、公正な社会を築くことの重要性を教えてくれます。歴史の過ちを繰り返さないために学ぶというダークツーリズムの核心は、目標16の精神そのものと言えるでしょう。

次に、目標11「住み続けられるまちづくりを」との関連も深いです。この目標は、都市や人間居住を包摂的、安全、強靭(レジリエント)かつ持続可能にすることを目指しており、文化遺産や自然遺産の保護も重要なターゲットとして含まれています。
災害の記憶を伝えるダークツーリズムは、この目標に直接的に貢献します。東日本大震災の被災地や阪神・淡路大震災のメモリアル施設を訪れ、災害の教訓を学ぶことは、市民の防災・減災意識を高め、自然災害に対してより強靭なコミュニティを築くことに繋がります。また、原爆ドームや軍艦島のような「負の遺産」を適切に保存・活用することは、地域の歴史とアイデンティティを次世代に伝える文化遺産の保護活動に他なりません。これらの遺産を核とした持続可能な観光を推進することは、地域の活性化にも寄与し、人々が誇りを持って住み続けられるまちづくりに貢献します。

目標4「質の高い教育をみんなに」も、ダークツーリズムと深く関わります。この目標は、すべての人に包摂的かつ公正な質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進することを目指しています。ダークツーリズムの現場は、学校の教室を飛び出した「生きた教材」の宝庫です。
修学旅行で平和記念資料館を訪れたり、防災学習で災害伝承館を見学したりすることは、教科書で学ぶ知識を立体的で実感のこもったものに変えます。歴史、地理、公民、道徳など、様々な教科を横断する総合的な学習の場として、極めて高い教育効果が期待できます。さらに、その対象は子どもたちに限りません。企業研修での人権学習や、市民向けの生涯学習プログラムとしても活用でき、あらゆる世代の人々が生涯にわたって学び続ける機会を提供します。

さらに、目標10「人や国の不平等をなくそう」にも貢献します。国立ハンセン病資料館や南アフリカのロベン島などを訪れることは、病気や人種に基づく差別や偏見の歴史を学び、社会に根深く存在する不平等の構造を理解するきっかけとなります。こうした学びは、私たち自身の内にある無意識の偏見に気づかせ、多様性を受容し、あらゆる形態の差別をなくしていくための行動を促します。

このように、ダークツーリズムは、過去の悲劇と向き合うという一見後ろ向きな行為を通じて、SDGsが目指すより良い未来の創造に積極的に貢献する、非常に前向きで価値のある活動なのです。

【国内外】ダークツーリズムの代表的な事例7選

世界中には、人類の負の歴史を静かに語り継ぐ数多くの場所が存在します。ここでは、国内外のダークツーリズムを代表する7つの事例を取り上げ、その歴史的背景や訪問することで学べることを具体的に紹介します。これらの場所は、いずれも私たちに深い問いを投げかける、重要な学びの場です。

① アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(ポーランド)

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツが占領下のポーランドに建設した、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を象徴する強制・絶滅収容所です。1940年から1945年にかけて、ヨーロッパ各地から移送されてきたユダヤ人を中心に、ポーランド人、ロマ(ジプシー)、ソ連軍捕虜など、推計110万人以上もの人々がここで命を落としました。敷地は、主に管理施設があった第一収容所(アウシュヴィッツ)と、大規模なガス室や焼却炉が設置された絶滅収容所の役割を担った第二収容所(ビルケナウ)から構成されています。

訪問者は、皮肉なスローガン「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」が掲げられた門をくぐり、収容所内へと足を踏み入れます。整然と並ぶ収容棟の内部には、犠牲者から没収された膨大な数の靴、カバン、眼鏡、そして刈り取られた髪の毛などが展示されており、一人ひとりの人間から尊厳と命が奪われていった事実を強烈に突きつけます。ビルケナウに今も残る引き込み線路やガス室の廃墟は、国家による組織的かつ工業的な大量虐殺という、人類史上類を見ない犯罪の規模と狂気を物語っています。ここは、人種差別や偏見がもたらす究極の悲劇を学び、二度とこのような過ちを繰り返さないという誓いを新たにするための、全人類にとっての巡礼地です。(参照:アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館公式サイト)

② チェルノブイリ原子力発電所(ウクライナ)

1986年4月26日、旧ソビエト連邦(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号機で、史上最悪レベルの原子力事故が発生しました。爆発によって大量の放射性物質が広範囲に飛散し、周辺地域は深刻に汚染され、多くの住民が強制避難を余儀なくされました。発電所から半径30km圏内は立ち入り禁止区域(ゾーン)とされています。

近年、放射線量が比較的低下したエリアについては、厳格な管理のもとで限定的なツアーが実施されてきました(※ただし、2022年以降のロシアによるウクライナ侵攻の影響で、ツアーは無期限に中止されています)。ツアーでは、事故を起こした4号機を覆う巨大なシェルター「新安全閉じ込め構造物(NSC)」を遠望できるほか、全住民が避難し、時が止まったゴーストタウンと化したプリピャチ市を訪れることができます。廃墟となった学校や遊園地の観覧車といった光景は、原子力災害が人々の日常を一瞬にして奪い去る恐ろしさと、その影響が数世代にわたって続くことを示しています。チェルノブイリは、科学技術の功罪、情報隠蔽がもたらす悲劇、そして見えない脅威である放射能汚染について、私たちに重い教訓を投げかけています。

③ 9.11メモリアルミュージアム(アメリカ)

2001年9月11日、国際テロ組織アルカイダによって引き起こされたアメリカ同時多発テロ事件。ニューヨークのワールドトレードセンター(WTC)に2機の旅客機が激突し、ツインタワーは崩壊、約3,000人もの尊い命が奪われました。その跡地「グラウンド・ゼロ」に、犠牲者を追悼し、事件の記憶を後世に伝えるために建設されたのが「9.11メモリアル&ミュージアム」です。

屋外のメモリアルプラザには、かつてツインタワーが建っていた場所に「リフレクティング・プール」と呼ばれる2つの巨大な正方形の滝が設けられ、その周囲のプレートには犠牲者全員の名前が刻まれています。地下にあるミュージアムでは、事件当日の映像や音声、破壊された消防車や鉄骨といった遺物、そして犠牲者の遺品や生存者の証言などが展示されています。これらの展示は、テロリズムの理不尽な暴力と、それによって引き裂かれた数多くの人生を物語っています。ここは、憎しみの連鎖を断ち切り、多様な文化や価値観が共存する平和な世界の重要性を再認識するための、静かで厳粛な祈りの空間です。(参照:9/11 Memorial & Museum公式サイト)

④ 原爆ドーム・広島平和記念資料館(広島県)

1945年8月6日午前8時15分、広島市に世界で初めて原子爆弾が投下されました。街は一瞬にして壊滅し、数えきれないほどの市民が命を落としました。爆心地から至近距離にありながら奇跡的に全壊を免れた「広島県産業奨励館」の残骸は、現在「原爆ドーム」として知られ、核兵器の悲惨さを象徴する人類の負の遺産として世界遺産に登録されています。

隣接する広島平和記念公園内にある「広島平和記念資料館」では、被爆者の遺品や、熱線や爆風、放射線によって引き起こされた被害の様子を示す写真や資料が数多く展示されています。焼けただれた三輪車、黒焦げの弁当箱といった遺品の一つひとつが、被爆した人々の無念と苦しみを雄弁に語りかけます。ここは、核兵器の非人道性を知り、その廃絶と世界の恒久平和の実現を願う「ヒロシマの心」を世界に発信する中心的な場所です。(参照:広島平和記念資料館公式サイト)

⑤ ひめゆりの塔・沖縄県平和祈念資料館(沖縄県)

第二次世界大戦末期、日本国内で唯一、住民を巻き込んだ激しい地上戦が繰り広げられた沖縄。中でも、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒・教師たちで編成された「ひめゆり学徒隊」の悲劇は、戦争がもたらす理不尽さを象徴しています。彼女たちは看護要員として陸軍病院に動員され、凄惨な戦場で多くの命を落としました。その終焉の地に建てられたのが「ひめゆりの塔」であり、併設の「ひめゆり平和祈念資料館」では、生存者の証言映像や遺品を通じて、学徒隊の足跡と沖縄戦の実相を伝えています。

また、激戦地であった糸満市摩文仁の丘には「沖縄県平和祈念公園」が整備され、その中核施設である「沖縄県平和祈念資料館」では、沖縄戦に至る歴史的経緯から戦後の米軍統治、そして基地問題に至るまで、沖縄が歩んできた苦難の歴史を総合的に学ぶことができます。国籍や軍人・民間人の区別なく、沖縄戦で亡くなった24万人以上の全戦没者の名を刻んだ「平和の礎」は、訪れる者に平和の尊さを強く訴えかけます。(参照:ひめゆり平和祈念資料館公式サイト、沖縄県平和祈念資料館公式サイト)

⑥ 東日本大震災・原子力災害伝承館(福島県)

2011年3月11日に発生した東日本大震災は、地震、津波、そして福島第一原子力発電所事故という未曾有の複合災害を日本にもたらしました。福島県の沿岸部(浜通り地方)は、この三重苦に直面し、甚大な被害を受けました。その記憶と教訓を未来へ継承するために、双葉町に開館したのが「東日本大震災・原子力災害伝承館」です。

館内では、巨大津波の脅威を示す映像や、原発事故による全町避難を余儀なくされた住民の証言、事故後の廃炉作業や地域の復興に向けた取り組みなどが、実物資料やグラフィックを用いて分かりやすく展示されています。ここは、単に被害の大きさを伝えるだけでなく、複合災害から得られた教訓を防災・減災に活かし、原子力災害という特殊な問題について考え、風評被害の払拭や福島の再生への理解を深めるための重要な拠点となっています。(参照:東日本大震災・原子力災害伝承館公式サイト)

⑦ 軍艦島(長崎県)

長崎港から約19kmの沖合に浮かぶ「端島(はしま)」、通称「軍艦島」。かつては海底炭鉱として栄え、最盛期には5,000人以上が暮らす、世界で最も人口密度が高い島でした。しかし、主要エネルギーが石炭から石油へと転換する中で1974年に閉山。全島民が島を離れ、無人島となりました。その後、風雨にさらされた高層アパート群や炭鉱施設は徐々に朽ち、独特の景観を持つ廃墟として注目を集めるようになりました。

軍艦島は、日本の近代化を支えた産業遺産としての「光」の側面を持つ一方で、戦時中には多くの朝鮮半島や中国出身者が過酷な条件下で労働を強いられたという「影」の歴史も指摘されています。「明治日本の産業革命遺産」の一つとして世界遺産に登録されていますが、その歴史認識をめぐっては国際的な議論も存在します。上陸ツアーに参加することで、訪問者は日本のエネルギー政策の変遷、労働者の生活、そして産業遺産の保存と活用の課題、さらには歴史の多面性について深く考える機会を得ることができます。(参照:長崎市公式サイト)

ダークツーリズムに参加する際の心構え

訪問先の歴史的背景を事前に学ぶ、故人や現地の人々へ敬意を払う、自身の感情としっかり向き合う

ダークツーリズムは、美しい景色を楽しみ、美味しいものを食べる旅とは全く異なります。悲劇の歴史と向き合い、故人を追悼する、思慮深く、敬意に満ちた旅です。その有意義な体験を確かなものにするためには、訪問者自身がふさわしい心構えを持つことが不可欠です。ここでは、参加する際に特に意識すべき3つのポイントを解説します。

訪問先の歴史的背景を事前に学ぶ

ダークツーリズムの学びの質は、事前の準備によって大きく左右されます。何も知らずに現地を訪れても、目の前の風景や展示物が持つ本当の意味を理解することはできません。単に「古い建物だな」「なんだか悲しい場所だな」という漠然とした感想で終わってしまい、せっかくの貴重な機会を活かせない可能性があります。

訪問を決めたら、まずはその場所で「いつ、何が、なぜ起きたのか」という基本的な歴史的背景を調べてみましょう。例えば、アウシュヴィッツを訪れるなら、ナチスの台頭や反ユダヤ主義の歴史について。広島を訪れるなら、第二次世界大戦の経緯や原爆が開発・投下された背景について。公式サイトや関連書籍、ドキュメンタリー映画などを活用するのがおすすめです。

事前学習をすることで、現地での理解度が格段に深まります。ガイドの説明がより立体的に聞こえ、展示物の一つひとつが持つ文脈が見えてきます。そして、なぜこの遺産が今も保存され、語り継がれているのか、その意義を深く実感できるはずです。何より、歴史を知ろうと努める行為そのものが、その場所で犠牲になった人々や、記憶を伝えようと努力している現地の人々への敬意の表れとなります。知識は、より深い共感と省察への扉を開く鍵なのです。

故人や現地の人々へ敬意を払う

ダークツーリズムの対象地は、多くの人にとって神聖な祈りの場であり、生活の場でもあります。訪問者は「お客様」ではなく、その静寂と尊厳を尊重するべき「ゲスト(客人)」です。敬意のこもった振る舞いを徹底することは、参加者の最も基本的な義務と言えるでしょう。

具体的には、以下のような行動規範を心がける必要があります。

  • 服装: 露出の多い服や、派手な色柄、攻撃的なメッセージが書かれたTシャツなどは避け、その場にふさわしい、控えめで落ち着いた服装を選びましょう。
  • 行動: 敷地内では大声で話したり、笑ったり、走り回ったりすることは厳に慎むべきです。飲食や喫煙は、必ず指定された場所で行いましょう。慰霊碑や墓標にむやみに触れたり、腰掛けたりする行為は絶対に避けてください。
  • 写真撮影: 多くの施設では、写真撮影に関するルールが定められています。撮影が禁止されている場所では、決してカメラやスマートフォンを向けないでください。撮影が許可されている場所であっても、フラッシュの使用は控え、他の訪問者の迷惑にならないよう配慮しましょう。特に、祈りを捧げている人や遺族と思われる方々にカメラを向けることは、プライバシーの侵害であり、極めて非礼な行為です。また、慰霊碑などを背景に、ピースサインなどをして記念撮影をする行為は、不謹慎の極みです。撮影する際は、その一枚がどのような意味を持つのかを常に自問自答する姿勢が求められます。

これらのマナーの根底にあるのは、「もし自分が犠牲者の家族だったら、訪問者にどう振る舞ってほしいか」という想像力です。その想像力こそが、あなたの行動を律し、敬意に満ちた訪問を実現させてくれるでしょう。

自身の感情としっかり向き合う

ダークツーリズムは、精神的に大きな負担を伴う旅になる可能性があります。悲劇の現実を突きつけられ、悲しみ、怒り、無力感、恐怖といったネガティブな感情が一度に押し寄せてくるかもしれません。それは決して異常なことではなく、むしろ人間として自然な反応です。大切なのは、そうした自身の感情から目をそらさず、しっかりと向き合うことです。

見学中に気分が優れなくなったり、精神的に辛くなったりした場合は、決して無理をしないでください。一旦その場を離れて休憩したり、深呼吸をして気持ちを落ち着けたりすることが重要です。全ての展示を無理に見ようとせず、自分のペースで進むことを心がけましょう。

また、旅の体験を一人で抱え込む必要はありません。もし同行者がいるなら、見学後に感想や感じたことを話し合ってみましょう。他者と対話する中で、自分の感情が整理されたり、新たな視点に気づかされたりすることがあります。一人旅の場合は、日記やノートに自分の気持ちを書き出してみるのも良い方法です。

そして最も重要なのは、その旅で感じたことを、その場限りの感情で終わらせないことです。なぜ自分は悲しいと感じたのか、何に怒りを覚えたのか。その感情の源泉を掘り下げていくと、自分が大切にしている価値観(平和、公正、命の尊厳など)に気づくはずです。その気づきを、日常生活に戻った後の自分の行動や考え方にどう活かしていくか。例えば、関連するニュースに関心を持つ、差別的な言動に反対の声をあげる、防災への備えを見直すなど、小さな一歩で構いません。ダークツーリズムで得た感情を未来へのエネルギーに変えていくことこそが、この旅を真に意義深いものにするのです。

まとめ

本記事では、ダークツーリズムの意味や目的、種類、そして国内外の代表的な事例から参加する際の心構えまで、多角的に解説してきました。

ダークツーリズムとは、単に悲劇の跡地を巡る暗い旅ではありません。それは、戦争や災害、人権侵害といった人類の負の歴史と真摯に向き合い、そこから未来への教訓を学び取るための、極めて教育的で思索的な旅の形態です。その主な目的は、「歴史から教訓を得る」「悲劇を風化させない」「故人を追悼し平和について考える」という、未来志向の建設的なものにあります。

私たちは、アウシュヴィッツや広島の事例から平和の尊さを、東日本大震災の伝承館から防災の重要性を、そして様々な人権侵害の歴史から人間の尊厳を学びます。これらの学びは、SDGsが掲げる「平和と公正をすべての人に(目標16)」や「住み続けられるまちづくりを(目標11)」といった世界共通の目標達成にも貢献する、価値ある社会貢献活動とも言えます。

しかし、その一方で、ダークツーリズムは「遺族への倫理的配慮」や「商業主義化の問題」といった繊細な課題も抱えています。これらの課題を乗り越え、その意義を最大限に発揮するためには、参加者一人ひとりが訪問先の歴史を学び、故人と現地の人々への敬意を払い、自身の感情と向き合うという、謙虚で真摯な心構えを持つことが不可欠です。

この記事が、ダークツーリズムという旅のスタイルへの理解を深める一助となれば幸いです。そして、もしあなたがこの旅に関心を持ったなら、ぜひ十分な準備と敬意を持って、歴史の声に耳を澄ます旅へと一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。そこにはきっと、あなたの価値観を揺さぶり、人生をより豊かにする、忘れられない体験が待っているはずです。